日本禅宗史への扉

【庭園】

禅宗の教えには、自然の雄大さや厳しさの中に釈迦の説法を聞こうとし、自然の中で修行することを理想としたことから、寺院の境内にも自然の姿を取り込むようになった。やがて、大自然を人工的に築造した枯山水〈かれさんすい・かれせんずい・こせんずい〉と呼ばれる庭を生み出した。池や水を用いずに、立石や白砂のみで大自然を狭い空間に圧縮し、象徴的・抽象的に表現したことから、「仮山水」とも称された。

 

禅画から発展した水墨山水画の世界を、立体的に表現したものともいわれ、石の大小で遠近法を演出する技法などが取り入れられている。特に夢窓疎石〈むそうそせき〉(1275〜1351)が作った西芳寺や天龍寺の庭園は、その後の作庭に大きな影響を与えた。また、曹洞宗寺院の庭園には、将軍足利義晴が、享禄元(1528)年に戦乱を逃れて寓居した時に作った滋賀県朽木〈くつき〉村興聖寺〈こうしょうじ〉の池庭などが知られている。