日本禅宗史への扉

【禅と印刷文化】

日本の印刷技術は、中国へ渡った禅僧たちが、多くの仏教典籍を持ち帰り、それらを復刻・開版することで発展した。印刷文化は、天龍寺〈てんりゅうじ〉や臨川寺〈りんせんじ〉(京都渡月橋の東)などの五山派の臨済宗寺院を中心に発展し、「五山版」と称された。開版事業には有力武士たちが援助することもあった。関東では、鎌倉円覚寺続灯庵〈えんがくじぞくとうあん〉を中心に、『臨済録〈りんざいろく〉』『聚文韻略〈しゅうぶんいんりゃく〉』などの語録・詩文に関するものや、『大般若経〈だいはんにゃきょう〉』などの教典類が主に出版された。普済寺〈ふさいじ〉(東京都立川市)で刊行されたとされる「普済寺版」はこの流れを組み、広範囲にわたる臨済僧の活躍が知られている。

 

曹洞宗では、延文2(1357)年に宝慶寺〈ほうきょうじ〉(福井県大野市)で開版刊行された『学道用心集〈がくどうようじんしゅう〉』や『義雲和尚語録〈ぎうんおしょうごろく〉』が嚆矢〈こうし〉として知られている。