只管打坐(学生と職員のための参禅会)

 道元の禅は、一般的な禅のイメージとはまったく異なるものである、坐禅修行を積み重ねてゆき、悟りに至るというようなものではない。坐禅は悟るための手段や道具ではない。

 

 道元の禅は只管打坐〈しかんたざ〉(ただひたすらに打ち坐る)の禅であり、修証一等〈しゅしょういっとう〉の禅である。すなわち、坐禅修行(修)がそのまま悟り(証)である(『正法眼蔵〈しょうぼうげんぞう〉』弁道話〈べんどうわ〉)。坐禅それ自体に絶対の価値を見出すものである。坐禅を中心とした修行生活以外にないのである。

 

 春には、いち早く、厳寒に耐えた梅枝が雪中に花をつけ、夏には緑陰にほととぎす、秋には月と紅葉、冬には漫々の雪におおわれて、刻々と色を変えてゆく越前(福井県)の峰々。その峰々からほとばしる水量に応じてその響きを変える谷々。このような渓声山色のなかに、道元は修行道場としての永平寺を構えたのである。

 

 永平寺では、今も雲水(修行僧)たちは、峰の色、谷の響きの真只中にあることを体感し、大自然の営みにリズムを合わせながら、坐禅を中心とした修行生活を日々続けている。