日本禅宗史への扉

【戦国大名と禅宗】

戦国大名の多くは、何らかの形で神仏に祈りを捧げ、武運長久や領国の安定を祈った。禅宗もまた戦国大名たちの帰依を受けた。特に応仁の乱(1467〜77)により、多くの公家や僧侶が荒廃した京を出ていったが、それは禅文化の地方伝播につながった。禅文化や禅僧の学問・教養は、地方の戦国大名たちの求めるところとなり、彼らは禅宗に帰依し、禅文化を享受した。また信仰面・文化面のみならず、領国内の禅院を在地支配の拠点としたり、禅僧の持つ幅広い人脈を利用して、他大名との連絡・交渉の際の使僧(外交僧)としたように、政治的・外交的にも禅僧は重要な役割を担った。現在残されている戦国大名の肖像画には、禅宗に帰依し、僧形をしている大名の像も少なくない。