日本禅宗史への扉

【法語の世界】

五山派の僧は、諸山→十刹〈じっさつ〉→五山の住持へと順に昇っていく。そのつど入院〈にゅういん・じゅえん・じゅいん〉法語を作成し唱えた。新しい住持を迎える時には、山門疏〈さんもんしょ〉(新住持を迎える寺院側が作成)や諸山疏(新住持を迎える寺院の近隣寺院が作成)などを作成し入院を勧めた。また住持中は上堂〈じょうどう〉法語(法堂での説法に際して)小参〈しょうさん〉法語(方丈〈ほうじょう〉での説法に際して)が唱えられた。

 

こうした法語は、偈頌〈げじゅ〉や四六駢儷文〈しろくべんれいぶん〉などの漢詩文が用いられ、禅林ではおのずから文芸への関心が高まった。また林下〈りんか〉の曹洞宗でも、入院や結制のたびに法語が唱えられ、多くの禅僧の語録が残されている。