良弘「走々」散文(陸上競技部部長として)

 

箱根駅伝応援に対する御礼(2008年)

 二〇〇八年、正月、箱根駅伝。吾が駒澤大学の陸上競技部は、お蔭様で、三年ぶりに優勝の栄冠を勝ちえました。これも、多くの方々の応援のたまものです。とくに教育後援会の皆様には、物心両面にわたるご援助を頂戴いたしておりまして、感謝にたえません。このように、皆様に喜んでいただける結果を出すことができまして、私たちにとりましても無上の喜びです。

 

  ご承知のように、いつも勝利するとは限りません。しかし、皆様には、苦杯をなめた時にも、また、遠方にもかかわらず、駆けつけていただき、温かい励ましのお声をかけていただきました。その度に、何としても、箱根に勝利したいという思いに駆られました。

 

 五連覇を狙って臨んだ一昨年は、トップを切っていたチームが突然のブレーキ。駒大に勝利が転がり込んだかに思われましたが、勝運は、そのまま転がり、亜細亜大学に移り、準優勝はおろか五位に沈みました。昨年は、暮に本校キャンパス内の寮でノロウイルスの感染があり、そのためか、幾人かの欠場者が出、その動揺は隠せず、勝負になりませんでした。四年生の次郎丸君の涙のラストスパートには、目頭が熱くなるのを覚えました。七位でしたが、シード圏内に踏みとどまりました。次郎丸君の「別の意味で(シード権争いという)見せ場を作ってしまいました」の弁は、記憶に新しいところです。

 

 そして、正月四日、すなわち、翌日の午前六時、例年どおり、つぎの箱根に向けて、練習を開始しました。勝っても負けても、翌朝六時の練習開始は大八木監督の「すごい」ところです。けっして驕ることなく、消沈することもなく、勝利への飽くなき挑戦、本当に頭が下がります。綿密な練習計画のもと、大八木弘明監督の厳しい目が光り、高い声が響き渡ります。また、その意を受けた高橋正仁コーチのきめ細かな支持が行き渡ります。そして、森本葵顧問や高岡公総監督の暖かな眼差しが、選手を励まし、勇気付けます。箱根の優勝を目指して、努力の日々が始まりました。

 

 前期はトラック競技を中心に調整を続け、中長距離種目だけで関東学生陸連の一部に昇格しました。そして、夏期休暇中の合宿を機により、長距離型の体にしていきます。

 

 それにいたしましても、今年度の夏は異常な暑さでした。しかし、その暑さよりも熱い練習に耐えたのが、選手たちでした。大八木監督の作った最適の練習メニューをこなし、自らをより高い目標に向けて追い込んでいく選手たち。その選手たちを給水やタイム測定などでサポートする主務やマネージャー。一丸となって、一つの目標に向って、各自が「随所に主」となって―禅語で、他人任せにせずにいたるところで主体となって行動する―、協力し合う姿に、「これこそ、教育の現場だ」と、教場や研究室とはまた別の一つの教育の現場をみる思いがいたしました―同じことを百済名誉教授がお思いでした―。なお、この一丸となっての協力体制は、コーチ・陸上競技部OBの協力を得て、箱根駅伝の時に、さらに、強固なものとなって現れました。

 

 さて、十一月には、全日本大学駅伝(伊勢路)に連覇しました。駒大はここ十年間で七回優勝しています。あるスポーツ紙に「赤福がだめになったいま、うそ偽りのない真の伊勢名物は駒澤大学の駅伝チーム」とまで書かれました。

 

 少し、脇道に反れましたが、この全日本大学駅伝優勝により、俄然、箱根の「優勝候補筆頭」の声が高くなってきました。各スポーツ紙・誌の記事も「元王者」から「絶対的王者をめざして」に変わってまいりました―駒大には「王者」、中大・早大には「名門」を冠することになっているようです―。選手たちには、優勝経験者は四年の藤井君一人のところに、「本命」というプレッシャーがかかることになりました。厳しい練習を経てきており、よいタイムも出ていましたので、あとは、普段どおりの走りができるかどうかにかかってきました。

 

 十二月に入って、健康管理が「最重要課題?」となりました。うがいと手洗いは一年中です。風邪でなくてもマスクをする選手も出てきました。外での食事の折にも、スプレー式の消毒液を持ち歩くようになりました。それから、誰が言い出したか、漂白剤のハイターの殺菌力が強いということになりました。寮のトイレの掃除、場合によっては手洗いにも使用したようです。暮には、小生宅でも、そこここにハイターの薄め液を置きました。家族も呆れておりましたが、なんとか、無事に越年できました。お陰で、手が相当に荒れたことは確かです。

 

 そして、優勝することができました。昨年、出場できなかったキャプテンの安西君は山登りで、監督が求めたタイムより、二分も速い記録でした。昨年ブレーキを起こした三年の太田君は、見事アンカーをつとめました。とくに、この二人の一年間には辛いものがあったと思います。山下りの藤井君もよく襷を繋ぎました。四年の平野、豊後(差を一分縮めた)の両君もよく走りました。堺君は、早大を絶妙のタイミングで、抜き去りました。三年の池田君もいいスタートを切り、二年トリオの宇賀地(花の二区)・高林(三区)・深津(二分短縮の猛追)君も活躍いたしました。

 

 それに、走ることはできませんでしたが、四年の鈴木俊佑君は、厚い選手層の一角を担ってくれました。主務の田中克武君、マネージャーの大川・吉津谷紅美君、関東学連幹事の山本芙美君や、三年生以下の各学生諸君の下支えに感謝したいと思います。

 

 箱根駅伝は正月三が日の視聴率一位、二位を占めているそうです。昨年優勝した順天堂大の教授の計算によりますと、往路五時間半、復路五時間半の間にあれだけ大学の名をテレビに出すとすると十九億円余の費用がかかるそうです。そして、その効果は三倍にもなるそうです。ことさようですから、箱根駅伝はヒートアップするばかりです。他大学の力の入れようには、並々ならぬものがあります。今後とも、教育後援会をはじめ皆様方の物心両面にわたるご援助をお願い申上げる次第です。

駒澤大学陸上競技部 部長 廣瀬良弘

 

(教育後援会会報 記事)