『砂の器』
松本清張の代表作のひとつ。松本清張は、"社会派推理小説の始祖"、と言われます。それは、彼の小説が単なる巧妙なトリックや完全犯罪をモチーフにするのではなく、時代と向き合いながら、登場人物の内面性を鋭くえぐり出すことに重きを置いているからと言えるでしょう。そうした姿勢は、いきおい社会構造とその矛盾を描くことに繋がります。
『砂の器』の主人公・和賀英良は、ハンセン氏病患者であった父を持つことを隠すべく、戦後の混乱に乗じて戸籍を偽ります。が、しかし、その過去が明らかになることを恐れて、やがて殺人に及んでしまいます。殺人は、たしかに道義的にも法的にも許されるものではありません。ただ、松本は、それを単に断罪するような筆致で書いてはいないのです。松本が真に断罪したかったのは、当時のハンセン氏病に対する根強い差別とそれを促した社会的背景です。松本に言わせれば、和賀英良すら、時代の犠牲者なのかも知れません。
弱い立場にある、そして人間としての尊厳を損なわれた存在への深い愛情と、そうした立場へ追いやった時代と社会への糾弾。これこそが、この小説を貫くメッセージなのではないでしょうか。「人間のありよう」を問うこの小説は、まさに現代を生きる我々に対しても、大きな教訓をもたらし、強いメッセージを発しているように思います。
『もののけ姫』
宮崎アニメを代表する作品のひとつ、『もののけ姫』。
時代設定は、室町後期から戦国初期あたりでしょうか。
この作品には、実は、歴史家・網野善彦氏の研究成果が随所に取り入れられています。
印象的なのは、エボシ率いるタタラ場において、らい病患者や売られた女性が手厚く保護された環境のもとで製鉄業に励むシーンです。日本の中世社会では、そうした弱い立場にある人々を救済する場が機能していたのです。たとえば、江戸期に発達した「駆け込み寺」は、統治権力の及ばない場であるだけに、離縁を望みつつもそれが困難であった女性を救う場、いわゆる〈アジール〉でありました。
わたしたちが想像する以上に、中近世期の日本には、困窮者を掬い上げる仕組みが存在していたと言えそうです。
そうした視点で鑑賞すると、歴史の面白さまでも汲み取れるように思います。
『蝉しぐれ』
ご存じ、人気時代小説作家・藤沢周平の小説。
多くの国民から愛される藤沢周平ですが、彼の作品の魅力は、何と言っても文章の巧さにあるように思います。いま、NHKの「ラジオ深夜便」にて、毎月曜日に藤沢周平作「用心棒 日月抄」が朗読されています。お聞きになっている方も多いのではないでしょうか。
この朗読、聴いているだけで、その場面や情景が実に色鮮やかに想像されるのです。むろん、松平定知アナウンサーの絶妙なる語り口が手伝っているとも思いますが、やはりその最大の理由は、藤沢の文体が屹立としていつつも、風景や人物の心理を繊細な言葉を選びつつ描写している点にあると思います。刀を交えるシーンなどでも、このことを強く感じます。文章が巧いことを読み手(聴き手)に気付かせないくらい文章が巧い、とでも言うのでしょうか。とくかく、読んでいても聴いていても、情景が豊かに拡がってくるのです。
『蝉しぐれ』は、藤沢周平作品の中でもとくに人気の高い作品です。時代小説・歴史小説ファンならずとも、お薦めの一冊です。歴史が身近に感じていただけるのではないでしょうか。
『タスキを繋げ!大八木弘明 駒大駅伝を作り上げた男』
駅伝――各人が仲間を信じて黙々と走り、そして1本の襷をつなぐ。
この「黙々と走る」という行為、とりわけ長距離走以上に、己との対話を必要とするスポーツはないように思います。走ることによって自己内対話が繰り返され、それが己を見つめることに繋がる、と言えましょうか。
こう考えると、長距離走と坐禅とは共通している要素が随分多いように思えてきます。
駒大駅伝の強さを表すのに、「全員一丸」や「精神力」といった言葉がよく用いられます。
こうした強さは、実は、禅の精神と無縁ではないかも知れません。
そして何よりその強さの秘訣が、そうした精神力の重要性を説く大八木監督の指導にあることは、改めて言うまでもありません。
大八木監督は、実際、選手として箱根駅伝を走られた経験をお持ちです。選手としても監督としても、そうした精神を常に強くお持ちなのでしょう。これは駅伝だけに限らず、わたしたちの日常生活にも通じることに違いありません。
そのことが実感できる一冊です。是非、お読み下さい。